羊の時刻

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近況/ドラマ『チェルノブイリ』感想。

 ひとつまたお話が書き上がりました。

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 と言ってもまだ完成ではなくて、ちょっと時間を置いて少しほとぼりを冷ましてから見直していくのですが、でもお話としては書き上がったのでまずはめでたい。トマトジュース(無塩)で乾杯してます。
 ほとぼりを冷ますため&気持ちの目先をそのお話から逸らすために、何か海外ドラマでも見ようかな、と軽い気持ちで「再生」を押したら止まらなくなった作品について今日は書きます。
 HBOの連続ドラマ『チェルノブイリ』(全5話)。

 タイトルからして重くて暗くて憂鬱そう。
 そう思った私の予想は全く間違っていなかったのですが、重くて暗くて憂鬱な作品だったら観なくていいや、と思った人のためにひとつ付け加えると、めちゃくちゃ面白かったです。*1
 感情の揺さぶり方がとにかく巧い。
 特に事故発生直後から夜明けまでを見せる第1話は完全にホラーでした。

 それもゾンビ物のパニックホラー。

 何が起こったのか誰にも分からず、ただの(と言うには場所が物騒すぎますが)火事だと考えてそのつもりで対処してるうちに事態はどんどん悪化していって、原発の職員たちは顔が赤くなっていく=放射能焼けを起こしているのに現場の上司は頑として炉が爆発した現実を認めない。なにがなんだか分からないままにみんな顔がどんどん赤くなって吐いたり倒れたりして犠牲者がどんどん増えていく。この描写がまるっきり、未知の病原体に感染してゾンビになっていく人たちの見せ方。
 音楽も静かかつ不気味。じわじわと積み上げられてゆく恐怖は夜明け頃に嫌だと言ってるのにお偉いさん達の命令で炉の様子を防護服も無しに目視で見てくることになった施設の職員が黒煙を噴き出し続けている建屋の屋上に出て(この時はまだ顔は普通の色)、ゆっくりとむき出しになった炉(の残骸)を覗き込み、そして一瞬にして真っ赤にただれてしまった顔で振り返る場面で頂点に達します。音楽カメラワーク演技すべて満点。この場面はもしいつか映画館で上映されることがあったら大画面大音量で観て圧倒されたいです。

 実際の社会問題を元にしたドラマ、と言うと「映像的にも物語の起伏も地味で、小難しくて堅苦しい」という私の先入観を鮮やかに裏切ってくれた第1話でした。

 

 第2話以降お話のジャンルは政治ドラマ、災害パニック、サスペンス、裸族(HBOのお家芸だそうで)、戦場アクションとめまぐるしく変遷して第5話は法廷モノ。HBOに作れないジャンルのエンタメなど存在しない! という自負を感じる欲張りエンタメ全部盛りっぷり。
 第2話のラストの絶望からの第3話冒頭での安堵、からの再びのスリル。起伏が無い瞬間がむしろ無いというくらい劇的展開が矢継ぎ早に繰り出されるジェットコースタードラマ。
 そしてキャラクターがみんないい味、いい演技。
 最初は全員悪人ヅラに見えるじいさま連中の中に実はナイスキャラが紛れ込んでいて、このクソじじい……! と苛々させられたキャラクターが(それがどの人物かは観てのお楽しみ)みるみる魅力的になっていく過程にぐいぐい引き込まれます。事故そのものの悲惨さに負けず劣らずうんざりさせられる人間同士の醜いゴタゴタがさんざん続いて観るのがキツくなってきていたところへ彼が素敵なおじさまになり始めたので、ああ、人間って駄目なところばかりじゃない、と救われた気がしてどうにか視聴を続けられました。
 最初見たときは脇役のひとりかと思ったくらい冴えない地味そうな人だったレガソフ博士のことも(途中まで名前が覚えられなくて「猫おじさん」と呼んでました)、話が進むにつれてどんどん好きになります。

 

 第5話の冒頭はそれまでの陰鬱さとうってかわって陽を浴びてきらきらしている美しい街の日常風景。
 第1話からずーっと陰惨な場面ばかり見せられ続けてきたあとなので、ただ人が笑って道を歩いているだけでなんだかあり得ない至福の世界、天国を見ているみたいに思えました。でもこれいつのどこだろう? 事故からすごく時間が経ったプリピャチ市? 
 それともこれは、ifの世界? 事故が起こらなかったらこうなっていたはずの未来だろうか? いろいろ考えているうちに画面は屋内プールの光景に。
 これが旧ソ連の市民プールかー、壁面のタイル絵が日本の銭湯の富士山とは全然違ってて異国情緒あってかっこいいなあ、と思いながら眺めていたら画面右のほう、壁に寄せて置いてある椅子に海パン一丁でだらけて腰掛けているおじさんの顔がレガソフ博士でした。
 事故直後から現場で放射線まみれになりながら英雄的に活躍した彼の、英雄になる前の姿。それを不意討ちで見せられて、これは事故の前の姿なんだ、こんなに平和に普通に暮らしてたんだ、と気づいたとき、本当につらくなりました。
 よく戦争ものなんかだと、戦場でのある人物の(ノンフィクションでもフィクションでも)英雄的な活躍が描かれることでその作品を観た人が――作り手の意図がどうあれ――戦場を美化して捉えてしまう、ということがあります。
 このドラマ『チェルノブイリ』は第5話冒頭で「事故前」の人々の幸福な日常を見せることでそういう美化の可能性を排除している。映像的には全く悲惨ではないけれど、だからこそ痛ましい。
 こんな事故起こらないほうが絶対良かった。英雄になんかならないほうがよかった。そう心の底から思わされる印象深い場面でした。
 ドラマ『チェルノブイリ』の心に一番響いたシーンを私が三つ選ぶとしたらこの(1)第5話冒頭のプールの光景と、(2)第1話終盤の夜明けの屋上から職員が炉を見下ろして振り返る場面と、(3)第4話の月面車、を選びます。
 家人に尋ねると(1)第5話の法廷シーンと、(2)第3話の病院でのシーン全部と、(3)第4話の「ひとり90秒」、という回答でした。
 ふたりで三つずつ挙げてひとつも重複しなかったのは驚き。それだけこのドラマが多彩な魅力を持っていて見せ場もたくさんあったということですね。

 

 あとこのドラマは台詞が簡潔で明快なのが良いです。
 専門的な技術がてんこもりの施設で起こった前代未聞の大事故の事後処理と原因究明、という複雑で難解な一連の問題を、たったの五時間で視聴者に分からせるために台詞でたくさん説明をまくしたてるのではなく、その真逆。
 誰が聞いても分かる言葉で、なるべく短く。
第1話序盤、爆発(したとはまだ分かってない)直後に制御室で原発職員が「鉄の味がする」と呟きます。
 まだ映像的には何も起こっていないかに見えるこの時点で、「鉄の味がする」という台詞を言わせることで目には見えなくとも何か想像を絶した事態が発生していることを示す。台詞が短いからスッと頭に入って瞬時にその意味が把握できる。重大な台詞でありながらも長くないから、刻一刻とより深刻になっていく状況の変転を視聴者が目と心で追いかけるのに邪魔にならない。たったひとことで事態の異常さと重大さを視聴者に、その場に居合わせているかのような迫力で実感させた、すごい台詞だと思いました。

 

 第5話を見終わったとたん第1話をまた見たくなって見始めてみると冒頭の、小声で聞こえづらいしこのおじさん地味だしディアトロフって誰だかわからんし、と初見の時はだいたい聞き流していたレガソフ博士の告白の意味が初めて理解できました。
「人々は英雄よりも誰が悪者かを知りたがる」。
 この「人々」に、ドラマを見終わったばかりの自分自身も含まれている。鳥肌が立ちました。すごいドラマです。観て良かった。 

*1:実際にあった事故をモデルにしているドラマを観て「面白い」と思うのは――さらに言えば、実際の事故を元に「面白い話」を作ることは――不謹慎なのではないか? 
 そういう疑問は私も観ていて何度も抱いたのですが、でも思うに、実際にあったことを知ろうと・知らせようとしないで距離を置く、という姿勢は《不謹慎》ではなくとも、《不誠実》なのではないか。