寝付けなくてNetflixで視聴。いま見終わった。2009年の映画について書くのに今さらネタバレを気にする必要はぜんぜん無いのかもしれないけど、現にここに今さら初めて観た人間がいるわけなので、いちおう明記。ネタバレあります。
消防士と弁護士の裕福な夫婦の間に生まれた娘・ケイトが小児白血病を発症。骨髄移植や臍帯血、そのほかケイトの治療に必要な臓器を得るために夫婦は体外受精でもうひとり子供を作る。それが妹のアナ。
血液やら細胞やらを生まれたときから自分の意思に関係無く採取され提供させられ続けたアナは11歳になり、病状が悪化した姉に腎臓を片方提供することを母親から要求される。
試験管の中でHLAの型が姉と適合することを確認してから子宮に戻された受精卵から育った妹・アナはそもそもそのために作られた存在。アナが腎臓を提供しなければ、適合する腎臓を待っている間にケイトは死ぬ可能性が高い。*1
アナは自分の14金のペンダントを売り、そうして得たなけなしのお金を握って弁護士の事務所に駆け込む。「足りないのは分かってるけれど、これで私を助けて欲しいの。私はママを訴える」。
腎臓を自分の意思に反して提供させられることを私は拒否する、というアナの突然の宣言に母親は激怒。なんとしても姉のために腎臓を提供させようと怒鳴り、懇願するけれどアナは訴えを取り下げない。「腎臓をひとつ無くしたら一生体に気をつけなくちゃいけない。私はそんなの嫌。私だってチアリーダーになったり、お酒を飲んだりしたい」。アナの言い分に母親は全く耳を貸さず、必死な母と必死な妹は法廷で激突することに。
と、ここからは最高にネタバレ。
結局アナは自分の意思で裁判を起こしたのではなく、ケイトに頼まれてやっていたことが判明。「チアリーダーになりたい」という言葉も姉の指示した台詞をそのまま言っただけだった。
「母さんは私が細胞二つだけになっても電気ショックを与えて切り刻んで生かす。ここからはホラーの領域よ」
助かる見込みの無いつらいだけの治療はもう嫌だとどれだけ言っても聞く耳を持たず、あきらめることを受け容れられない母親に治療をあきらめてもらうために、ケイトはアナに母を訴えるように頼んだのだった。経緯が明らかになった直後にケイトは闘病を終え、アナは勝訴する。
原題はMy Sister's Keeper。
「私の姉を守る者(=母親)」という意味なんだろうな、と最初のうちは思っていたけれど、実は姉が頼んだことだった、という事実が判明した時点でああこれはダブルミーニングだったんだ、と分かった。「私の姉を守る者(実は私がそう)」、という意味もあるんだ、と。
でもエンドロールが始まった頃、これはダブルどころか、トリプルミーニングなんじゃないかと気づいた。
ケイトは死にたがっていた、もう治療は嫌だから死にたいというのがケイトの本心だったんだ、ということで家族は悲しみながらも心の安らぎを得てケイトを弔って映画は穏やかに終わるけれど、ケイトの本当の、一番の本心はたぶん「死にたい」よりも別のところにあったんじゃないか。
「私の妹を守る者」、それに自分はなる、というケイトの決意をこのタイトルは暗示しているんだと私は思った。
*1:日本では生体腎移植のドナーになれるのはレシピエントの六親等以内の親族に限られているけれど、アメリカでは全くの他人でもドナーになれるらしい。そうは言っても他人に無償で腎臓をくれる人は稀だから、実際の移植例は多くはないらしい。映画ではそのへんよくわからなかったので観終ってからネットで調べた。