羊の時刻

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クズネツォーフ『バービイ・ヤール』のこと。(1)

“わたしは、長いことチートをさがした。呼べど呼べど、こつぜんと姿をかくしてしまった。で、チートをおいて出かけた。広場へいってみると、ひとりのドイツ兵が、電柱から電柱へと走っては、なにものかを銃で狙っている。わたしたちは、急いで柵のわきに身をかくしたが、よくみると、その兵隊は一匹の猫を射っているのである。そして、あちこちに、殺された犬や猫がたおれている。わたしは、心の中でチートと訣別した。チートもやはり、ヒトラーの占領軍にとって、好ましからざる存在なのだ。”

(クズネツォーフ『バービイ・ヤール』草鹿外吉訳、大光社 p.273より抜粋)

 二月くらいにこのブログで、私が好きなキエフ(キーウ)にゆかりのある作家やオデッサ(オデーサ)にゆかりのある作家のことをそのうちに書きたい、と書いたきりそのままになっていたので、そのうちのひとりを今日は紹介します。
 アナトーリィ・クズネツォーフ。
 ドイツ軍に占領されたキエフでの少年時代の体験をロシア語で書いた旧ソビエトの作家です。
ウクライナ生まれウクライナ育ち、というわけでウクライナの作家です」というふうなきっぱりした単純な書き方にならない事情については私が下手に説明するよりも(そもそも人に説明できるほど私自身詳しくないので……)先日買った『現代思想 2022年6月増刊 総特集 ウクライナから問う 歴史・政治・文化』から、ソ連体制下で書いた作家たちについて述べられている一節を抜粋します。

“現代の観点から見れば、たしかに彼らは民族や言語の障壁を跨いだ越境作家と位置づけられるかもしれない。だが、実際には越境の意識があったというより、言語や民族や国を分かつ境界が希薄なソ連という広大な空間に生き、移動し、書いていたと言う方が実情に近い。”

(『現代思想 2022年6月臨時増刊号 総特集 ウクライナから問う 歴史・政治・文化』p.63より抜粋)

 

 ウクライナ人の母親とロシア人の父親から生まれたアナトーリイ・クズネツォフは1968年、ソ連チェコ侵攻が起こった直後にイギリスへ亡命。
 英語版wikipedia彼のページによれば、旅行者用の2週間のビザでKGBに見張られながらロンドンに着いたクズネツォフさんは即座に亡命を決行したものの、ホテルの部屋に大好物だったキューバ産の葉巻を忘れたことに気づき、KGBに捕まる危険性があったのにわざわざ取りに戻ったのだそうです。すごい肝っ玉。

 肝っ玉と言えば、もうひとり私がそのうち紹介できたらと思っているオデッサ(オデーサ)ゆかりの作家イサーク・バーベリもWikipediaによれば胆力のある人だったようです。何も悪いことしていないのに逮捕されて車で連行されていく時、同乗した秘密警察の人に向かって言った言葉が「あなたはあまり寝ていないように見える」だったのだとか。
 そういう人でないと旧ソ連の体制下で世界に通用する文学を書き残せはしなかった、と言えるのかもしれません。

 ここまで書いてちょっとくたびれたので、続きは後日。

 しかし古書価格すごいことになってますね。読みたい方はこんな値段で買わないで図書館でリクエストするといいと思います。

 なお、英語版ならKindleで買えるようです。でも私は草鹿外吉さんの日本語訳を激推しします。

 たしか以前検索したときは無かったような......と思ったら、今月出たばっかりでした。*1

“『ジューにリャーヒ(ポーランド人の卑称。)にモスカーリ(ロシア人の卑称。)は、もっとも凶暴なウクライナの敵だ!』
 このポスターのかたわらで、生まれてはじめて、わたしは考えこんだ。いったい自分はなんだろう? わたしの母親は、まじりけなしのウクライナ女だ。父親は、これまた生粋のロシア人。すると、わたしは、半分ウクライナ人で、半分は『ロスケ野郎』である。つまり、自分が自分に対して敵だというわけか。“

(クズネツォーフ『バービイ・ヤール』草鹿外吉訳、大光社p.42より抜粋)

 

*1:追記:このKindle版英訳本のサンプルを私の端末にダウンロードしてみたところ、私の端末との相性なのかもしれないのですが体裁がしっちゃかめっちゃかで読みづらいったらなかったです。サンプル版だけでなく製品版もこうなのでしょうか...? 未確認ですが、もしそうなら残念です。