“I do not pretend to be a messenger, a chronicler of the war, or a know-it-all. I feel attatched to the places I have lived in, and I write about them. I don't feel that I write about the past. Pure and unadulterated, the past is no more than good raw material foe literature. Literature is an enduring present──not in a journalistic sense, but as an attempt to bring time into an ongoing present.”
(──Aharon Appelfeld, The Story of a Lifeより抜粋)
七歳のとき戦争が始まってすぐに母親を射殺され、父親とは強制収容所で別れ、収容所から脱走してからはたったひとりでウクライナの森で生き延びた(その頃ウクライナの農民から斧を投げつけられた話は別のエッセイ本A Table for Oneに収録)ホロコーストサバイバーである著者の、戦争の「前」と「最中」と「その後」とでばらばらに分割された記憶と体験の再統合の試みとしての回想録。
凄惨な経歴を経たこの人は多くの人にそうするようにとアドバイスされながらも歴史の重さとつらさを証人として背負って叫び続ける作家にはならず、小さな声でささやかな光と静けさの愛しさを語り続ける作家になった。その語り口が私はとても好きだ。
この人の前半生をざっくりと『バーデンハイム1939』の訳者後書きで知ったとき、そんな経験をした人が、その後の人生でなにかを楽しいと思ったり、素敵だと思ったり、好きだと思ったりすることができたのだろうか? と、私は怖くなって、それでこの人のエッセイA Table for Oneを取り寄せて読んだ。そうしたらこの人がコーヒーと、コーヒーを飲む喫茶店でのひとときを愛している、と繰り返し書いていたのでほっとして嬉しくなった。この人の小説には食べ物と飲み物がいつもとても美味しそうに出てくるところも好き。