七年使った私のパソコン、さすがに寿命なのか、キーボードがもうろくし始めました。
まず最初に「ー(伸ばし棒)」が打てなくなってきたのが一ヶ月くらい前だったか。そして数日前からは「ろ」も打てなくなりました。
完全に反応しなくなったというのではなく、何度か力強く──イメージとしては『振り返れば奴がいる』最終回の織田裕二が石黒賢に施した心臓マッサージの勢いで──キーを叩き続けるとそのうちポンと入力されるのですが、そんなことしていたら当然ミスタッチが増えてそれを直すのに二度手間三度手間で能率ガタ落ち。それに毎日こんなことをしているとブラインドタッチの感覚もおかしくなってきそうなので、早急にもうパソコン自体買い換えたい。
それなのに。
マスクだけじゃなかったのですね、品薄なのは。
私が買いたい価格帯のパソコンはみんな部品を中国で生産しているらしく、例の感染症のせいで今は生産ラインが止まってしまっているんだそう。今すぐに注文しても届くのは四月とか五月とかになるんだとか。
大阪文フリの新刊は「ろ」と「ー」をいっさい使わないで書くしか無いのか。
『幽遊白書』の仙水編でそんなようなゲームの話がそういえばありましたっけ。使えない文字がひとつずつ増えていくしりとり。
と、思い詰めるほどのことは実はなくて、この文章を書いているポメラDM100を使えば「ろ」も「ー」も問題無く打てるのです。文フリに向けての準備も、本文を書くだけだったらポメラがあるから支障は無い。
ただそこから先の作業となると『一太郎』を使いながらになるので、ポメラでもなくスマホでもなく、フルサイズの物理キーボードつきの最低限まともなスペックのパソコンが無いとお話にならない。
いつになったらまともなパソコンがまともな値段で買える平和な日々が帰って来るのか。
嘆いていても仕方ないので、今は手持ちの機材でできることをできる範囲で進めます。機材が無くちゃ手も足も出ないCGとか動画作成と違って、文章なのだから極端な話、紙のノートに万年筆でお話ひとつ書き上げることもできるのが救いです。
しかしなんで「ー」と「ろ」がまず壊れたのやら。
考えてみるに、もしかして「ろ」は、先日の第四回文フリ京都(ポメラは漢字変換がおバカなのが泣き所。「きょうと」と打って「京都」を出すために今、変換キーを何回打っただろう……十回以上打ちました)での新刊『ロレンソ日乗タピオカ論争』で「ロレンソ」と打ちすぎたせいで壊れたのかも。
と、夫に話すと「だったらレとンとソも同じように壊れてないとおかしいだろ」と。そうか。
静かな梅園で梅の花を食べていたヒヨドリ。
このところの松本城は土日も平日も白昼夢みたいに空いてます。