羊の時刻

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電球ソーダ

 って何なんだろ、と思って帰ってから調べたら今けっこう流行ってるようで。そう広くない神社の境内の中だけでも出店が3軒もあった。色水を炭酸水で割って電球型の容器に入れて電灯もおまけにつけたもの、という理解であってるんだろうか。大きいのが600円、小さいのが500円。

(原価いくらだろ)と横目で見るだけ見て素通りしたけど、お姉さん二人連れがきらきら光る飲み物を大事そうに手で抱えて飲みながら信号待ちをしている姿はとても綺麗だった。原価とかそんな汚れた思考を反射的に巡らせてしまう人間には似合わない飲み物なんだろう。

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 そういえば樫木佑人『ハクメイとミコチ』にこんな感じの飲み物が出てたっけなあと思い出した。4巻に出てくる《球茶》。あれも実在のモデルが何かあるんだろうか。

 

 綺麗なソーダを手に信号待ちしているお姉さん達を見ていたら木山捷平がビニール袋の普及について書いた随筆を思い出した。以下抜粋。

 

私がぞっとしたのはそのこと自身よりも、味噌の包装が、白いビニールをつかってあることだった。私はソーセージなどにビニールを使ってあるのは大分前から知っていたが、味噌にまでこんなものを使っているとは夢にも思わなかった。

 酒のツマミモノだから、どうしても中を開かなければならなかった。私はその袋を手にしたが、中はずやずや、ぐにゃぐにゃ、そのへんな感覚が白い透明な袋を透して、私の腕から五体のすみずみまで伝わった。身ぶるいして、私は銀座を一丁目から八丁目まで真っ裸で走らされているような錯覚を覚えた。どうか酒屋さん、いくら汁がもらなくて利便であるとは言え、色が色だけに、味噌だけは茶色の竹の皮に包んでください、と頼みたくなったのである。

 もっとも数年前、私は町を歩いていて、中年の女のひとがビニールの袋に金魚を入れて歩いているのを見た時は、思わず眼をみはった。その美しさに真似がしてみたくなって、私も金魚を買うようになった。

(木山捷平『角帯兵児帯 わが半生記』講談社文芸文庫 p.85-86より抜粋)

  ビニール袋は今では竹の皮にほぼ完全に取って代わって日用品としての地位を揺るがぬものとしたけれど(そうは言っても人類はビニールの容器に入った味噌を見てあるものを連想してしまう癖を克服してはいないわけだけど)、電球ソーダは一時の流行り物として消えるのか、それともお祭りの夜店のスタンダード商品として末永く生き残るのか。その答えをも松本舞台の舞台人形はずっと見守っていくんだろうな。