写真は松本市立図書館正面の「旧司祭館」に一昨日入って撮ったもの。明治22(1989)年の建築物。
入場無料なので図書館に行ったらそのついでに何となく立ち寄るのが好きなのですが、普段から空いてるとは言え全くの無人となるとやはりちょっと異様。(ゲームの画面の中に入ったみたいだな……)と思いながら中をいつもどおりうろうろして、でもいつもよりは長居しないで出て来ました。
ゲームみたい、と思ったものの、具体的にどのゲームを私は連想してるんだろうか。
考えてみて、数年前にPS4でプレイしたインディペンデント系のゲーム『フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと』を思い出しました。
一族の者が何故か皆早死にしてきたフィンチ家。プレイヤーはこの不吉な家系の血を引く少女・エディスの語る声に導かれながら今は誰も住んでいないこの屋敷を探検し、フィンチ家の人々ひとりひとりの“死の瞬間”をひとつひとつ追体験してゆきます。
選択肢はいっさい無しのいわゆる「一本道」ゲームで、ゲームという体裁はとっているけれど実質的にはインタラクティヴでダークな仕掛け絵本。エディスの声を語る文字が屋敷の中のそれぞれの部屋の薄暗い空間や、そこから始まる「死」の追体験の光景の中に静かに表示されては掻き消えていく映像がとにかく綺麗で、綺麗なぶんだけ悲しい。
大満足できた傑作でした。特にショッキングだったのが(以下ネタバレです)お風呂場で死んでしまった赤ちゃんの「死」の追体験。それを見ているプレイヤーの感情をどこまでも裏切って、赤ちゃん本人は最後(=溺死)の瞬間までただただ楽しさ百パーセントでおもちゃと戯れていたのが本当に、心に来ました。
興味を持たれた方はぜひプレイしてみてください。嵐の日に凧揚げして死んだ人の死の追体験とか、鮭(だったかなんだったか、食用の魚)の缶詰工場の単純作業で病んでトリップしちゃった人の追体験も素晴らしかったです。
旧司祭館から見た市立図書館。
今のところうちの町の図書館は例の感染症への対応は「学習室の閉鎖」のみで、臨時休館の予定は無いようなのでほっとしました。本を書くのに必要な資料を全部買ってたら床が抜ける。と言うかその前に食料が買えなくて死んでしまいます。
でも変わり者だらけのフィンチ家にはそんな死に方の人もいたのかも。
以下は自分が見る用のリンク集。
(1)Edith Finchの開発者Giant Sparrowのブログ記事。初期設定の文書がリンクしてあって興味深いです。プレイしていて「なんかこれ、ガルシア=マルケス『百年の孤独』っぽいなあ」と感じたのですが、イメージ元のひとつに名前が挙がってました。
(2)開発者が語るメイキング・オブ・Edith Finch。